月の輝く夜は淋しくて  7

 切なくなった。
 枝を移った。
 からだを動かしていると気がまぎれる。主婦の習性ね。
 台所は、ゴミの山。カップめん、菓子の袋、脱ぎ捨てた服がテーブルにのり、汚れた食器が流しに積まれ、滴った雫が床に溜まっている。
 これら見慣れないものが占めた位置が、かつてのわたしの場。
 今晩は何を食べたのだろう。
 姉は料理が得意ではない。指を切りそうだとすべてハサミでゴロリと鍋に落とす。帰宅時間も遅いのだろう。
 夫だろうか。
 夫はその気になれば、何でもできる。クリームシチューの隠し味に砂糖をいれる。
 うまいもんだ。ただ、その気にならない。
 聞き覚えのある導入部を姉が弾いた。妹が歌いだした。
 「わたしゃアラバマからバンジョー膝に、はるかルイジアナに帰るところです」
 フォスターの「おお、スザンナ」だった。
 途中から姉の鼻にかかった声が追いかける。
 「月の輝く夜は淋しくて、旅はつらいけど、泣くじゃない」
 妹はブラシをバンジョーに見立て、かき鳴らした。
 姉は楽譜に首を突っ込み、深く背を曲げている。
 近視の度がそうとう進んだにちがいない。小学生からメガネが必要だったのにかけなかった。意固地な娘だった。
 「もっと元気よく」「大きく口を開けて」
 姉が叱咤する。
 「月の輝く夜は淋しくて、旅はつらいけど泣くじゃない」
 もう一度、また一度と娘たちは歌った。姉が妹を見る目は、笑いを含んで限りなく優しい。

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by dokkokara | 2008-06-07 17:15 | 月の輝く夜は淋しくて  

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